プロデビュー

SAG俳優部★ 外部舞台で活躍!!【卒所生デビュー実績】

2015.2.2

劇団AUN 第21回公演 有馬の家のじごろう

有馬の家のじごろう

市村 直孝
演出
市村 直孝
THEATRE
池袋「シアターグリーン BIG TREE THEATER」
2014年8月20日~25日
出演
吉田鋼太郎、大塚明夫、北島善紀、谷田歩、ほか
佐々木絵里奈(SAG17期俳優部本科)
山田隼平(SAG18期俳優部本科)

劇団AUNオフィシャルサイト

佐々木絵里奈 劇団AUN 所属(SAG17期本科)【SAG卒所後入団】
山田隼平 劇団AUN 所属(SAG18期本科)【SAG卒所後入団】

有馬の家のじごろう

SAG俳優部主任講師である北島善紀氏(劇団AUN劇団員/ケッケコーポレーション預かり)のレッスンをうけるうちに、卒業後の進路として劇団AUNの劇団員になることを志望。SAGを卒所し、まずは見習いとして劇団をサポート。

現在は2人とも劇団員になり、2014年8月、舞台「有馬の家のじごろう」に出演。今後のAUN劇団員としての活躍にも期待。

※劇団AUN(げきだん あうん)
1997年、演出家・栗田芳宏と俳優・吉田鋼太郎により旗揚げされた。
第2回公演以降は主にシェイクスピア作品を上演し、現在は主に吉田演出による公演を基本として活動している。

~山田コメント~

山田隼平

1★SAG在籍中の北島先生との思い出は?俳優部はどうでしたか?
まず、北さんと出会わせてくれたことに感謝します!本当に色々な事を学びましたし、人生が変わりました。
そのうちの一つが「見る聞く喋る」
北さんは一人になるなとよく言います。それは相手をちゃんと見て、相手の言ってる事をちゃんと聞いて、ちゃんと相手に喋るということです。
そのままですが(笑)
舞台上はもちろん現場でも、相手と対峙してるときに一番パワーを使え、家でパワー使うんじゃない現場で使うんだ、スペシャルになれと言われました、今でも意識している事です。
また、北島さんは「学校の先生と生徒の関係が嫌だから北さんと呼べ、おじさんとおまえ等は対等なんだ遠慮するな、ふざけんなと思ったらそれで良い、それをちゃんと言ってくれ!」と言ってくれました。
僕らが分からないと北さんは決して感覚で教えません。分かるまで論理だてて、時に下ネタを交えて教えて下さいます。
中にはレッスンの時間を2時間越えたこともありました。あんなエネルギー溢れるおじさんは人生で見たことが無かったので、 役者って「格好いい」「俺もあんな風になりたい」と素直に思った記憶があります。
そんな北さんに教わっていた僕ら俳優部、今は人数がいるみたいですが、僕らの期は本当に人数が少なく9人から始まり、最終的には3人でした。
人数は少なかったのですが、みんな芝居に熱い人間ばかりで、いいライバルでした。
発表会前になると「その芝居違うだろ」とかぶつかり合って色々腹が立つこともありましたが(笑)それもそれで、濃密な時間を過ごせたと思います。
僕らの特権は、まず北さんに教えてもらっていること。そして、ひとりに使ってもらう時間が長い事でした。
レッスン3時間、純粋に一人1時間北さんに芝居を教えてもらえます。なので、人数の多い声優部より絶対芝居が上手い自信がありました。
僕らの期だけではなく、俳優部は声優部より絶対良い芝居してやるって思っているはずです、いや思ってます(笑)
俳優部でよかったと思うことは、中間公演をやるとき人数が少なかったので、自分が基礎科の時には本科の先輩と、本科になったら基礎科の後輩と共演出来たことです。
先輩との共演では色々アドバイスをもらい大変勉強になりました。ですが「それは‥絶対違うだろ‥」と思うところもあり‥ 逆に自分が本科になって、北さんに「基礎科の台詞みてやって」と言われ後輩に教える立場になった時、後輩に「それは‥違うだろ‥」と絶対言わせまいと、芝居の事をより深く考えるキッカケになっていたと思います。
俳優部で学んだこと、北さんから学んだことが正しかったと、卒業した今でも思います。
2★なぜAUNに行こうと思ったのですか?
AUNの「十二夜」というシェイクスピア作品を観劇したからです。
北さんがレッスン中によく吉田鋼太郎さんの名前を出します、北さんも所属してる劇団AUNの座長です。
当時の自分はAUNの公演を観劇したことが無く、恥ずかしながら吉田鋼太郎さんの事も「蜷川幸雄さんの舞台で主役をはっている凄い方」というイメージしかありませんでした。
ですが劇場で、AUNに興味を持ってなかった自分に後悔しました。今まで観劇したどんな演劇よりも感動したからです。 舞台上で心の底から本当に泣いたり笑ったりしてる人間がいました。
鋼太郎さんが騎馬戦に乗って去るシーンがあるのですが(言葉で説明するとチープです(笑)
面白いやら圧倒されるやらで、泣く場面でもなんでもないのですが泣いてました(笑)
10分間の休憩になったとき誰もいない舞台をみて、ここに立ちたい、AUNで芝居したいと本気で思いました。
3★AUNに入ってからの生活は?
AUNに入団して関わった最初の公演が「有馬の家のじごろう」でした。
大きい役はとれませんでしたが、まったく予想していなかった吉田鋼太郎さんの代役をやらせて頂くことになり、プレッシャーで押しつぶされそうになりました。
周りの先輩方が本気で芝居に取り組む姿勢を見て心が震えました。先輩方に迷惑はかけられない。それに自分の芝居を認めてもらいたい。兎に角毎日台本を読みました。
僕が鋼太郎さんの代役をやらせて頂く前に代役をやっていた方にアドバイスを頂きながら。
鋼太郎さんの動きや台詞の読み方などを稽古場では常に書いていて、日々変わる芝居を必死に書きながら、先輩方の芝居に感動していました。
気付けば台本が真っ黒で何が書いてるか全然分からなくなり絶望を味わいました(笑)
鋼太郎さんの代役をやらせて頂くことによって勉強になった事は数え切れない程ありますが、中でも大塚明夫さん横田栄司さん北さんや他の先輩方と共演出来たことが一番心に残っています。
本当に素晴らしい役者さん方と台詞を交わしてる自分は何て幸せなのだろうと思いました。
先輩方の芝居は自分の魂に刻まれてます、いつか追いついて追い越したいです。
一生忘れられない経験でした。

~佐々木コメント~

佐々木絵里奈

1★SAG在籍中の北島先生との思い出は?
私は、アニメミュージカルに憧れてSAGに入りました。今でもその思いは変わりません。
SAGに入り、北島さんはシェイクスピア作品をテキストとして芝居を「伝えて」くれました。「教えて」くれたというより、「伝えて」くれたという表現の方がしっくりくる気がします。当時は教わっているつもりでしたが、北島さんは役者の先輩として、自分の技術や信念を全力で伝えて下さっていたのだと今は思います。私がそう思っているだけですので、真意は分かりませんが…。
2★AUNにはどのように入ったのですか?
アニメミュージカルにあこがれていた私が、なぜAUNに入団したかというと、ただただ面白かったからです。北島さんの熱意を浴びてすっかり北島マジックにかかった私は、基礎科の終わり頃に劇団AUNの「ヴェニスの商人」を観にいきました。その「ヴェニスの商人」がとんでもなく面白かったのです!何より衝撃だったのたは、北島さんが伝えてくれて私たちが目指していたものがそこにあったことです。
それから劇団AUNに入りたいと思い続け、北島さんに相談したのは、本科の夏休みもとうに過ぎた頃だったと思います。緊張しながら「劇団AUNに入りたいです」とお伝えしたところ「良いんじゃない?」とお返事を頂きました。なんだか軽い返事に聞こえましたが、ずっと秘めていたこの想い、北島さんには伝わっていたんだな、見てくれていたんだなと感じました。その後、劇団AUNの「十二夜」の稽古場を見学させて頂き、改めて北島さんに入団したい旨を伝えて入団しました。
3★AUNに入ってからの生活は?
入団してからは、週に一度WSがあります。このWSはちょうど私が入団した年から再始動したらしく、よい時期に入団出来ました。それまで数年間は定期的な稽古はなかったそうです。
AUNに入団して2年半。その間に本公演が2回あり、2014年の夏、AUNでは初めての日本の時代劇「有馬の家のじごろう」を上演しました。「有馬の家のじごろう」では有難いことに大役を頂きましたが、力不足で先輩方の足を引っ張る形になってしまいました。
次もシェイクスピアではなく、日本のお話しの予定です。まだ役が貰えるかも分かりませんが、その本公演では先輩方を引っ張り上げるくらいの気持ちでいきたいです。
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